〒157-0072
東京都世田谷区祖師谷1-8-12
アトリエの沿革 History
昭和30年頃 | 鳥居雅隆氏が世田谷にアトリエ、自宅を移し、画塾を開設。 |
昭和40年頃 | 子供クラスを廃止。大人のクラスに限定して指導。 |
昭和40年代 | 人気洋画家として有名になり、アトリエもドラマ撮影に多用される。 |
昭和50年頃 | アトリエを現在の形に工事、リニューアルしてアトリエ開きをする。 |
昭和50年代 | 人物クラスをさらに増設、金曜にもクラスを設置。 |
画家 鳥居雅隆 は山梨県出身、現在の東京藝術大学で藤島武二画伯に師事。
池袋モンパルナスのアトリエ村時代に各種デザイン、装丁、カットなどの仕事で活躍。
昭和30年代と40年代の2回のパリ在住でパリの市民権を取得。
二紀会 審査委員 一時は理事を務めるなど、画壇で脚光を浴びる。
世田谷の地域の画家グループで活発に活動。在住画家展にも毎年出品。
東京農業大学美術部顧問を依頼され、長年指導に当たる。
毎年パリを中心に滞欧していた雅隆氏ですが、アトリエでの教室指導はいつも熱心でした。
一時は子供と大人とが溢れるほど集まり、スケッチハイキングや旅行、クリスマス会などのイベントも盛ん。
美大受験のための特別指導も定評がありました。
アトリエ出身の画家、留学生など本格的なアーティストになった会員も多数。
商店街の子供たちへの指導も熱心に行っていました。
今でも開設当初の雰囲気はアトリエのそこここに感じることができます。
パリを愛し、当時の日本の洋画の枠を超えて、世界に通じる独特の画風をパリで確立した雅隆氏の業績は大きいものがあります。一流の洋画家の本格的なアトリエ。そんな素敵な空間を大切に守ってきました。セザンヌのアトリエにも似ていると言われるレトロなアート空間です(^.^)/~~~
50年以上もの伝統と業績を受け継ぎながらも、現代のニーズに対応し、多くの人々にアートの楽しさを気軽に味わっていただけるよう、講師、オーナー、アトリエアドバイザーが日々努力しています。本物のアートをもっと身近に、もっと楽しく!!が現在のアトリエのモットー。素敵でワクワクするような、自由で明るい学びの場になるようこれからの活動にご期待下さい!(^^)!
アトリエの歴史
洋画家 鳥居雅隆氏 は山梨県出身、現在の東京藝術大学で藤島武二画伯に師事し、学生時代から、挿絵やデザイン、装丁その他数々の仕事で名前が知られるようになりました。
その後戦争で満州に赴き、長いシベリア抑留の後、以前住んでいた池袋近くの画家村ではなく、いったん故郷の甲府に戻り再び上京、二紀会に所属するとともに、ここ世田谷のアトリエに住居を構え、同時に画塾を始めました。昭和30年頃のことです。
その後2度にわたる長いパリ滞在を終えて帰国。 二紀会のなかで宮本三郎氏をはじめ、重鎮に画風を認められ、審査委員、一時は会の理事を務めました。
地元世田谷での画家や彫刻家、ほかのアーティストたちで友の会を編成したり、芸大のグループ、同郷の画家のグループなどとのメンバーの交流もさかんに行いながら、子供の教室、大人の絵画教室を自宅のアトリエで続けていきました。
世田谷美術館が完成する以前からも、区の代表画家たちの展覧会に毎年出品、独自の抽象の世界を構築するとともに、西洋の古城や教会などの風景画を中心に人気作家として有名になりました。
現在のアトリエは、雅隆氏の制作時代をそのまま保存しながら、画塾を継承しています。
一度だけアトリエは改築を行っており、昭和50年頃にお披露目のパーティーを開催。二紀会でも、有名なアトリエとして当時注目され話題になりました。
長い歴史を持ったアトリエの様子はそのまま小田急線駅前広場に面するようになった、ここ10年の間にも変わることなく大切に維持管理されています。